明治へGO!!!
2007年 02月 12日
山手にある自働電話(公衆電話)。
リンクさせて頂いているタリアセンさんが洋館巡りをしていたのに、刺激を受け、今更ながら記事UP!(いつ撮影したかは、向かいの山手234番館の木々やイルミを見て頂ければ、ご想像がつくかと。)
公衆電話の歴史について、ちと調べてみた。
公衆電話が生まれたのは、明治33年(1900年)9月。上野・新橋の両駅構内に設けられたが最初とのこと。
んで、10月には、京橋に初の屋外タイプが建てられた。写真と同じ、白の木造六角錐。
電話が街頭に進出すると共に、翌34年には、荒っぽい対応で評判の悪かった男子交換手が廃止され、以来、電話交換手は女性の代表的な職業になったとのこと。
へぇ~、交換手ねぇ。それが時代と共に交換機、ルーターへと変貌を遂げると…
公衆電話は、当時「自働電話」と呼ばれていたが、これはアメリカの街頭電話に表示されていた「オートマティックテレホン」をそのまま直訳したものといわれている。
それから、美人が電話してると、人だかりができたんだってさ。
何かの映画ではないが、こんなレトロな公衆電話から電話をかけるとタイムスリップできるような気が…
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