ヴァカンス2007-シンガ・ビンタン レポ 三日目[3/6] プラナカンの美
2007年 05月 30日
![ヴァカンス2007-シンガ・ビンタン レポ 三日目[3/6] プラナカンの美_c0025895_1472.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/30/95/c0025895_1472.jpg)
TOP写真のようなフルーツ屋を見ると、南国っぽくて、すかさず一枚。
ココ、カトン地区はプラナカン文化が息づく街。
プラナカンって?
『Peranakan Chic』というHPで分かりやすく詳しく紹介されていたので、抜粋。
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プラナカンとはマレー半島のマラッカ、ペナン、シンガポールの3都市で繁栄を極めた中国系グループのことです。
彼らは15~16世紀(あるいはそれ以前)ごろにマラッカ王国にやってきた中国系移民の子孫とされ、現地のマレー文化、そして植民地時代には宗主国であるポルトガル、オランダやイギリスの文化をたくみに取り入れた独自の文化を持つことで知られています。
彼らは本来、男性はババBaba、女性はニョニャNyonyaと呼ばれ、総称でプラナカンPeranakanと呼ばれるようになったのは戦後のことだそうです。
…中略…
マレー文化の影響が強かったのはとくに女性ニョニャの方で、これらはニョニャ文化とも呼ばれます。ニョニャ料理、ニョニャ陶器、ビーズ刺繍、ニョニャ・クバヤなどがそれです。南国のカラフルでいて、フェミニンな色使い・ハイカラなデザインが特徴的です。一方で先祖崇拝や中国古来のしきたり・儀式を忠実に守ってきたのもプラナカンです。中国本土では廃れてしまった儀式を今でも続けている家族もあるのです。
イギリス植民地の時代を迎えると、すぐさま英語教育を受け、イギリス式マナーを身につけたプラナカンたちには、たいへんな大富豪になった者も少なくありません。イギリス風の大邸宅に住み、何人もの召使を抱え、当時珍しかったロールスロイスを乗り回し・・・、といったセレブも多く、イギリス上流社交界にも出入りしていたのです。そんな財力のおかげもあってニョニャ文化はこの時代に一層洗練されていったのです。
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通りにはプラナカン様式の建物が並び、見る者を飽きさせない。
![ヴァカンス2007-シンガ・ビンタン レポ 三日目[3/6] プラナカンの美_c0025895_151659.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/30/95/c0025895_151659.jpg)
なんとなく入ったお土産屋で。
![ヴァカンス2007-シンガ・ビンタン レポ 三日目[3/6] プラナカンの美_c0025895_154140.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/30/95/c0025895_154140.jpg)
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![ヴァカンス2007-シンガ・ビンタン レポ 三日目[3/6] プラナカンの美_c0025895_163287.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/30/95/c0025895_163287.jpg)
お土産にプラナカンなスプーンを購入。
が、コイツが意外と食べづらい。ま、カワイイから許すのさ。ウン♪
![ヴァカンス2007-シンガ・ビンタン レポ 三日目[3/6] プラナカンの美_c0025895_171143.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200705/30/95/c0025895_171143.jpg)
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